漫画家・増田晴彦

 漫画家、増田晴彦氏は成人向け漫画誌で下積み時代を過ごした後、週刊少年宝島という、出版界ではもはや伝説となった漫画雑誌で、氏のスタンスを確立させ、その活動が認められることによって、月刊少年ガンガンにプラットフォームを築くことになります。

 創刊当時の月刊少年ガンガンは今のような「読者が介在しない」雑誌ではありませんでした。不良が主人公の学園漫画から、矢追純一監修のインチキUFO漫画まで、そこには、良くも悪くも「正統派」の少年誌のスタイルが確固たるものとして輝いていたのです。しかしながら、年月を経るにつれ低年齢層向けの作品を中心とした雑誌作りになっていったのです(はたして、この方針がよかったのかどうかは、一時は隔週間化されたにも関わらず、また月刊体制に戻ってしまったことが、暗に示しているのではないでしょうか)。

 増田晴彦氏のハードな作風は、創刊当時のガンガンにはとてもマッチしていました。その評価ぶりは、ゲーム(スーパーファミコン用ソフト「エルナード」)のパッケージデザイナーに抜擢されたことからもご理解いただけることだと思います。ですが、確かに技術はすばらしいのだけど、特別な個性を発散しているとは感じられない、つまり最大公約数的な漫画が受けいれられるようになるにつれ、既存の作家陣は次第に苦戦を強いられるようになり、ある作家はガンガンから去り、またある作家は本来の作風を犠牲にするようになる有様でした。増田氏はたとえそのような状況になろうとも、路線変更をすることもなく、骨太なスタイルを常に維持し、まさしく「旧ガンガン派最後の砦」としてこれまで健闘してきました。しかし、連載の大半が氏とは正反対の路線をとる人たちで占められるようになったとき、氏の敗北は決定的なものとなり、ガンガンでの活躍は絶望的なものとなりました(もはや私以外のファンも、これ以上ガンガンでの執筆を望むものはいません)。

 ですが、増田晴彦は滅び去ったわけではありません。一般向けの作品としては実質最終作品となっている漫画「スサノオ」がそれを何よりも物語っています。環境さえ提供すれば、必ずや読者を納得させうる作品を作ってくれることでしょう。

第1節